壊さない建築家を目指して

第7回フォルマ・フォロセミナー

相沢 韶男

Tsuguo Aizawa

1期/民俗学徒

日時: 2012年9月8日(土)16:00〜18:00
場所: 武蔵野美術大学新宿サテライト
対談: 岩下 泰三(15期/スペースラボ)
司会: 黒田 潤三(25期/黒田潤三アトリエ)

相沢韶男(あいざわつぐお)先生は、武蔵野美術大学(=ムサビ)の教養文化(一般教養)で民俗学、造形民俗学の教鞭をとる現役の教授です。最近ではキャンパスを作務衣を着て闊歩する姿を見かけます。実は相沢先生は建築学科の1期生。そうしたご縁から、日月会セミナー第7回にお迎えすることになりました。第1部は講演、第2部は岩下泰三さん(スペースラボ/15期)との対談で行われました。

 

講演は、先生の生い立ちから始まりました。東京信濃町で生まれ、戦時中は疎開のため住まいを転々とし、水戸で終戦をむかえます。この水戸で過ごした時代がその後の先生の人生に色濃く影響を与えていました。

 

・デザイン
終戦後の水戸でご両親が営んだのは「ルミエール洋装店」。あつかうものこそ洋服ですが、身近にアイロンやミシンといったものづくりの道具があり、先生は「デザイン」という環境の中で育ちました。ちなみに、建築をやろうと思ったきっかけは、ウッツォン(デンマークの建築家)のスケッチだそうです、但し先生の進学当時のムサビには、建築学科はまだなく産業デザイン学科でした。

 

 

洋装店を営んでいた水戸の先生の実家

 

・あるく
小学校の頃、土器の破片を拾いに4キロの道のりを歩きました。幼い弟をあやしながらの往復は、歩く旅の初体験。高校時代(水戸高校)には何と74キロを歩く(歩かされる)会があったとか、この頃にはすでに“歩けば何とかなる(どこへでも行ける)”精神が身についていたと思われます。ムサビ在学中、山手線を徒歩で一周したそうですが、そんな話は序の口。先生の「あるいた」軌跡は、先生のプロフィールをご覧ください。http://profile.musabi.ac.jp/pages/2009001.html

 

・五軒小学校
先生の母校。水戸藩主、一橋徳川の歴史が刻まれた特別な場所にもかかわらず、水戸芸術館(磯崎新設計)建設のため移転をよぎなくされ、先生の家の洋装店も同様の影響を受けたそうです。水戸に強い愛着と誇りをもつ先生にとっては痛恨の思いがありました。先生は水戸にこだわりがある一方で、後に大内宿すなわち、会津ともかかわりを深くもつようになります。この水戸と会津は明治維新をめぐる複雑な縁を引きつぐ地域ですが(のようですが)、それら二つの地域とかかわりあった自分の人生について、先生は「先人の掌中で生きている」と表しました。

 

戊辰戦争については今も研究中だそうです

 

・写真
カメラの技術は当時では比較的若い中学・高校の頃に身につけました。それ以来、半世紀あまり、撮りためた写真は40万コマとか(聞き間違い??)。映画研究会に所属しフィルムの撮影にも携わり、「火の見櫓から撮ることを覚えた」のもこの頃。各地の町並みが先生の手によって撮影されることになります。先生の格言をひとつ「へたにとると芸術、うまくとると技術」(なるほど、、、)そして「最後のコマは撮らない」。

 

・スケッチ
ムサビ入学前には阿佐ヶ谷美術学校に通い、そこで宮脇壇氏に出会います。スケッチの腕はここで磨きがかけられたのでしょうか。セミナーの当日には、先生が手書した「大内宿」の美しい図が配られました。またセミナー会場で閲覧された著作には、宿場町や町並みなどの家屋だけでなく、数々の民具が描かれていましたが、いずれも生活のぬくもりを見事にとらえたスケッチでした。

 

・地域
建築を志したものの、実際は「計算ばっかり」がむいてなかったらしい。地域に目を向けるきっかけとなったのは、ムサビ在学中に参加した「地域社会に密接な建築計画」という国際建築家協会のコンペ。視デの学生も含む大勢の学生による共同制作だったそうです。この頃には漁村を頻繁に巡り、卒業制作に選んだフィールドは「宮島」、そこで伝統文化と今の生活を考えるに至ります。

 

・恩師
民俗学者、宮本常一氏はムサビの元教授、相沢先生の恩師でもある方です。宮本氏をめぐっては、宮本氏が澁澤敬三氏(澁澤栄一の孫。澁澤栄一は一橋慶喜に仕えた)に師事していたことに水戸の縁を感じたとか、再び会うことがあるならムサビで教えることをなぜすすめたのか、聞いてみたいとそんな話がありました。

 

・大内宿
会津茅手(茅葺き職人。各地で出稼ぎしていた)を訪ね歩くうち、先生は大内宿に辿りつきます。その大内宿の記事が朝日新聞に掲載されたのは1969年(アポロ月面着陸の一ヶ月前のこと)、「地域社会に根差した生活を壊していいのか」とその価値を訴えました(この二ヶ月前に文化庁に訴えました)。以来、現在に至るまで、先生の大内宿通いは続いています。最近、屋根葺き職人の後継者が現れたそうですが、大事にしてくれる若者に出会うととても嬉しいのだそうです。膨大な量に及ぶ、長年に渡る大内宿の実測調査やヒアリングのデータは、サイトで検索することができます。http://yui.musabi.ac.jp

 

・火星移住計画
ムサビでは教養課程の専任の立場ですが、請われて建築学科の授業を受け持ったことがあるそうです。出した課題は「火星移住計画」。タイトルにビックリ。一見意外な印象を持ちますが、生活の環境を徹底して調査してきた先生だからこその課題のように思えます。

 

・ゆいデク叢書
自ら「ゆいでく有限会社」という出版社を作り、自著を出し続けています(これもビックリ)。先生曰く「情報とは情けに報いると書く。(大内)村から得たものだから(本にして)返す」。ゆいデク叢書は大内村で販売。yuideku@hotmail.co.jp に注文すれば入手できるそうです。貴重な本が多数あり、一度手に取ってご覧ください。

 

・地域にかかわる
講演後の会場からの質問「地域にかかわる上ですべきことは何ですか?」の答えは「話をよくきくこと」。相手の話をうのみにする、こびへつらわない。そして、データにして文字化し熟成させていく。だから地域にかかわると大変な時間がかかる、それでも自分を信じる、つまり「バカ者になる」覚悟がいるのだと。

 

・壊さない建築家
語録「大内は自然と必然の結晶」「社会資本をつくるのが建築家の仕事。無駄があるからほっとする。家族が幸せになることを願ってつくるのが建築」「10万年単位で継承されてきた草屋根をコンクリートにするのか」「自らが自らをなくすことをやっていいのか」そして「壊さないで持たせることを日月会でも考えてもらいたい」と最後に締めくくりました。

 

セミナー後の懇親会。この日は保坂先生、宮下先生、源先生、布施先生もいらした。

 

お二人に共通するのは、旅また旅・・・・