2014 – 2015 建築学科創設50周年に向けて

第1回 日月会シンポジウム/日月進歩

開催情報

日時: 2010年10月30日(土)13:30〜16:30
場所: 武蔵野美術大学建築学科研究室内

パネラー

  • 真壁 智治

    2期/プロジェクトプランナー

  • 串山 久美子

    15期/メディアアーティスト/首都大学東京システムデザイン学部教授

  • 笹口 数

    20期/造形作家

  • 竹中 司

    28期/デザイン・エンジニア

司会進行

  • 小倉 康正

    武蔵野美術大学建築学科講師

台風にも関わらず徐々に参加者が集まる

 

去る10月30日(土)、迫り来る台風14号の中、日月会シンポジウム「日月進歩・第1回」が開催されました。

 

今回が第1回目となるこのシンポジウムは、日月会の「ホーム・カミング・デイ」(芸祭期間中に建築学科OBOGが母校に集まる機会)の復活企画として計画されたものです。
第2回「断面展」(OB作品展のことで過去1996年に開催された)の開催という企画から出発して、執行部会ならびに(仮)代表者のフォロの協議を重ねながら「建築学科創立50周年に向けて 日月会が何をすべきか?」を考えていくための機会として、その開催準備が進められてきました。

 

台風14号の接近に伴い芸祭自体の開催が危ぶまれる中、当日の朝、芸祭の開催決定を受けて、日月会「ホーム・カミング・デイ」も開催決定!
ホームページでその旨を発表し、執行部メンバーが会場の建築研究室に集まり準備に取りかかる中、 芸祭実行委員会から「午後2時をもって芸祭を中止する」旨の発表が・・・
それでも助手の長嶋さんの交渉により、何とかシンポジウムのみは予定通り(13:00~16:00)開催できることになったのでした。

 

そんな経緯がありながらも、学生を含めた20名ほどの参加者を集め、パネラーとしてお越しいただいた、小倉康生さん(18期)の司会のもと、第1部では、竹中司さん(28期)、笹口数さん(20期)、串山久美子さん(15期)、真壁智治さん(2期)の順番でそれぞれのプレゼンテーションが行われ、第2部では「自分の活動とムサビ建築との関わり」といったテーマを前提に、淡々としながらも熱いクロストークを展開していただきました。

第1部はパネラーの活動紹介プレゼンテーション


竹中司さんのプレゼ


笹口数さんのプレゼ


串山久美子さんのプレゼ


真壁智治さんのプレゼ

今回は、企画側の意図として「直接建築の仕事をしていない方に、現在の活動とムサビ建築学科で学んできたこととの関わりについて語っていただきたい」という趣旨もありこのような人選とさせていただきましたが、それぞれパネラーの皆さんのお話がホントに面白く実に勉強になりました。
日月会にはすばらしい人材がたくさんいらっしゃること、そして改めて日月会の奥の深さを実感した次第であります。

第2部の風景

以下、クロストークの中での皆さんのお話の一部(極めて断片的)を紹介します。

 

小倉:
現在の都市の魅力はなんなのか?
最近の建築は、環境・人間からどんどん遠ざかっているように思うが・・(問)

 

竹中:
現在都市解析はますます進んでいるが、その使い方が曖昧。デザインという行為の中に工学が必要とはなるが、それらは最終的にヒューマンなところへと戻っていくべきである。
ムサビ自体がイノベーションな環境であり、学生自らそれを失わないようにすべきだと思う。

 

笹口:
情報を何かに置き換えてそれをいかに消していくか・・といういことが今の自分の表現方法。その抽出の仕方に私個人の経験が大きく作用している。
ムサビには4年間を通して設計の授業があり、それらをこなす中で情報を統合するといった経験が築かれたように思う。

 

串山:
場を作る装置を作っている。そこで繰り広げられる、装置と人間の相互作用に関心がある。結局人間が一番難しい対象で、どのようにインターフェイスを作るかが問題。
ムサビでは、イメージ世代そのままに建築を見ていたが、卒業後工学系の人達と接しながら建築の見方が変わっていった。

 

小倉:三人に共通する部分は、都市や人間の中に見えるものの中からある対象を取り出すこと、そしてその取り出し方にあるのではないか・・

 

真壁:
我々の時代はプラグマティックなことが建築教育の目的で、過去のインテリジェンスがその前提にあった。これからは建築を考える上でそのような前提を離れて、皆さんが展開している「先端」に向かう必要があるのかもしれない。
しかし、これまでムサビのコアになってきたこと、さらにこれからもコアになるべきことは、人間の知覚をベースにものを捉えることなのだと思う。

 

・・・白熱した第2部のクロストークが続く中、残念ながら時間となり(学校側からの退去命令もあり)、その後は国分寺のとある居酒屋に場所を移して第3部へとなだれ込んでいきました。
第2部までの参加者ほぼ全員に引続きご参加いただき、大盛り上がりの懇親会となったことは言うまでもありません。

 

最後に、台風接近にもかかわらず参加いただいた会員の皆さん、源先生、本当にありがとうございました。
それから、準備に協力いただいた助手の長嶋さんと菊池さん、 学生さんに感謝です。

 


 

以下、シンポジウムの各パネリストから所感をいただきましたので、掲載いたします。

 


 

「ムサ美の変わるものと変わらないものへの期待」
真壁 智治(2期/プロジェクトプランナー)

 

日月会主催の第1回シンポジウム「日月進歩」にパネラーとして参加する機会を得た。ムサ美建築学科創設50周年に向けた意図を持つシンポジウムである。その為か、パネラー、司会者には2期生の私の他に、15期生、18期生、20期生、28期生、と各世代の拡がりのある構成となっていて、その職能も、さすがムサ美建築学科の卒業生らしい異能さ、多様さに富むものだった。
 
このシンポジウムに参加するに当たって、改めて私は入学年の1965年より現在までのことを概観してみた。元々、私のムサ美への大きな動機となったものに、「都市」への関心があり、都市計画、というよりは、表現する場・交流する場としての都市の在り方に漠然と興味があった様に思う。そうした私の関心を受けとめてくれそうな大学として草創期まもないムサ美建築学科が魅力的に私には映った。芦原義信・磯崎新・竹山実らのスタフィングには、他大学にはない「都市の時代」への期待がこもっていた。ムサ美で触発されたことが、私のその後のエネルギーの基になったことは間違いない。
 
しかし、私が直感したこうしたムサ美の特質は、どうやら私たちの時代の固有なもののようで、時代と共に変わり、各々の在学年によっても、建築学科のイメージも異なっていることが、他のパネラーの発言から如実にうかがえた。当然のことであろう。学科運営の様相は変わらざるを得ない。
 
であればこそ、ムサ美建築学科のエポックとなった時代々々を語り伝えることの意義はとても大きいと思う。同時にまた、ムサ美建築学科の変わらないものとしての「コアなもの」とはなにか、を吟味していくことも日月会が担う重要な使命だと感じた。
 
大学にはたえず理念性と先見性が求められる。創設50周年に手が届こうとしている今、ムサ美建築学科の歩んできた時代性と歴史性とを検証してみることからこそ、次のステージが見えてくるのであろう。

 


 

「日月進歩 2010」
串山 久美子(15期/メディアアーティスト/首都大学東京システムデザイン学部教授)

 

当日は、台風の中でもがんばって開いている学園祭の模擬店で金工デザインの学生が作った400円の蛙のアクセサリーを購入して、シンポジウムのある建築学部の研究室へ向かいました。研究室には、いつものような大らかな自由さが漂っていて、シンポジウムは、それが そのまま パネラーの皆さんの凝縮された時間の層とあいまって、濃密な心地よい空間を作っていました。
 
現在私は、首都大学東京にてインタラクション技術とデザインやアート,エンタテイメントなどの表現を融合した次世代のインタラクティブな音や映像や触覚のインタフェースデザインの研究をしています。先端工学とデザインが融合した領域です。人と人を繋ぐ新しいコミュニケーションの方法や、生活空間の中に自然に溶け込むインタラクション技術の開発や、その技術やデザインを空間表現にどのように利用するかの研究を通じ、アクセシブルな社会に役立てるようなものが提案できたらと考えています。
 
ムサ美で学んだ遊びや制作や生活全てが、土台になって、スパイラル状にゆっくり昇っている感じです。やっと、建築を考える入り口に返って来たところでしょうか。
 
台風の中で購入した学生の蛙のアクセサリーを見ながら、様々な色を放つ卒業生を暖かく向かえ入れてくれるムサ美の建築学科で、20代を過ごせたことを誇りに思いました。

 


 

「日月進歩 2010」
笹口 数(20期/造形作家)

 

全てのブレーカーが一斉に落とされたロックアウト後の8号館にこっそりと居残るのは、設計課題を進めるにはあまりに要領が悪い選択で、それはただただもう少しこの場に居たいという想いの正直さでしかなかったように思えるのでした。台風一過の影響で中断、全員退校となった芸術祭会期中のがらんどうの学内に残ってのシンポジウムは、否応無しにあの時の静けさの記憶に心を結びつけるものでした。
 
しかもゼミの恩師や卒業生の方々と共に居合わせて。天井のスポットライトやパワーポイントを使ってのプレゼンテーションこそ今様なのだけれど、建築学科の研究室内というシンポジウムの会場は、その他の教室とは違って講義やゼミなど特定の授業イメージも重ならないせいか、かえって、天井の高さも、RCの梁型や柱の距離感も、あの学生の時分の8号館の印象そのままなのでした。
 
集まられた方々がこの8号館のどこか同形の梁下で皆さんプレゼンテーションをされてきたのだと思うと勢い通り過ぎていった時がひと続きになるようで、シンポはその時間のトンネルを覗き伺うような不思議な台風一過のひとときとなりました。卒業生の皆に話しかけているかのような真壁さんの柔らかな言葉のあわいに生まれる会場の空気には、その時間のトンネルの響き具合を皆で確かめ合っているようなそんな親密さが感じられ、一人一人の積み重ねたものは履歴のような各々のかたちに収斂するばかりではなくそれが互いにこだまする貴重な時空もあるのだとあらためて思えてくるのでした。
 
「有り難い」との言葉の意味を日月会を通し母校建築学科に確かめる貴重な時間となりました。

 


 

「ムサビらしさ」
竹中 司(28期/デザイン・エンジニア)

 

久しぶりのムサビへの訪問だった。あいにく台風だったせいもあるが、校舎の様子が何となくよそよそしく感じられた。会場に着いて、講演者の皆さんの話を聞いているうちに次第に懐かしい気持ちに満たされていった。彼らの活動に「ムサビらしさ」を感じたからである。自らの感覚に忠実に、一歩一歩丁寧に進み、知らないうちに辿り着いた世界が従来の職種には収まりきれない新しい魅力を放っていた。そういった意味では私の活動もある意味ムサビらしいのかもしれないと再確認した一日だった。
 
2009年、海外での研究活動を終えて帰国しデザインとテクノロジーを融合したアンズスタジオを設立した。新しいテクノロジーの可能性を最大限に引き出し、従来の手の仕事では難しかった高次元の思考のプロセスを模索している。活動の出発点は、コンピュータに対する「もどかしさ」だったと思う。手書きのドローイングに対して、コンピュータは人のイマジネーションを制限するように感じていた。その感覚をぬぐいながら辿り着いたのは、コンピュータを用いてコンピュータでしかできないような仕事をしようという考え方であった。
 
今では、ほとんど全ての分野においてコンピュータはなくてはならない存在となった。その結果、コンピュータという共通のプラットフォームが築き上げられ、異なる分野間で情報を相互に共有することが可能になった。これにより分野を横断する新しい職能や職業の可能性が益々高まっている。従来の職種には収まりきれない独自の創作活動を「ムサビらしさ」とすれば、我々が最も得意とする時代が到来したように感じる。「建築」が本来持っているワクワクするような魅力を、この新しい時代に再構築できればと熱望している。

 


 

司会所感
小倉 康正(18期/武蔵野美術大学建築学科講師)

 

「ムサビでの4年間は無駄ではなかったですか?」
司会として、いざとなったら切り出してもいいかな、と考えていた質問です。
 
建築学科を卒業したにもかかわらず? 建築設計とは異なる分野で活動するパネラーが集った今回の「日月シンポ」。母校を美化する思い出話ではなく、本音のところを聞いてみたいという気持からでした。しかしというか、やっぱりというか、有益 or 無駄といった二元論を持ち出すような展開にはなりませんでした。逆に、パネラーの皆さんがそれぞれにムサビでの4年間という時間を、自分の人生と大切に切り結んでいるのが印象に残りました。それらは「人生に無駄なことはない。」といった紋切り型の価値観とは一線を画していたように感じました。そしてあらためて「建築学科という場所、悪いところじゃないな・・・」というおもいを抱きました。
 
パネラーの皆さんはそれぞれにクリエイティブな仕事をされているわけですが、お話をうかがっていて感じたのは、どなたも何かのかたちを作り出すというよりは、多様なこの世界から何かを引っ張りだすという作業をされているということでした。世界(この言葉が大げさなら周囲でもいいのでしょう)をどう読み、そこから何を引き出すのか。その読解力と選択眼にみなさんの重点が置かれているように感じました。
 
建築学科に限らずムサビの各学科は造形学部に属していることになっています。この造形(形を造る)という言葉が示すのとは異なる方向性がパネラーの皆さんから聞けたのは、これからのデザインを考える上で示唆的なことだったと思います。
 
実はシンポジウムの司会進行など初めてのことだったのですが、こんなに楽な司会はもう無いのではないか、と感じています。司会は座っているだけで十分。パネラーのみなさんがどんどん話を進めて下さいました。そして当日の予期せぬ台風にもかかわらず足を運んでくださった方々にこの場をかりてお礼を申し上げます。