学生時代に取り組んだ『課題』を通して_01
第4回 日月会シンポジウム/日月進歩
開催情報
日時: | 2013年10月26日(土)14:00〜17:00 |
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場所: | 武蔵野美術大学建築学科研究室内 |
パネラー
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山本 幸正
7期/保坂陽一郎建築研究所 代表取締役
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井上 瑤子
11期/文化女子大学教授/アトリエ・ノット 主宰
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青山 恭之
14期/アトリエ・リング一級建築士事務所 主宰
司会進行
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小倉 康正
武蔵野美術大学建築学科講師
2013年10月26日(土)に、武蔵野美術大学建築学科研究室にて、ホームカミングデイ・「第4回 日月シンポ(=進歩)」座談会が開かれました。
来年9月に迎える、武蔵野美術大学建築学科50周年に向け、『学生時代に取り組んだ「課題」を通して』をテーマに、連続座談会が企画されています。
今回はその第1弾として、1期から15期までの卒業生をお招きし語っていただきました。
はじめに酒向会長より挨拶がありました。
1970年代前半から70年代末に学生生活をおくられた三人のパネラーにお越しいただきました。
・山本幸正(7期/保坂陽一郎建築研究所 代表取締役)
・井上瑤子(11期/文化女子大学教授/アトリエ・ノット主宰)
・青山恭之(17期/アトリエ・リング一級建築士事務所主宰)
司会進行は、小倉康正(18期/武蔵野美術大学建築学科講師)です。
シンポジウムは、前後半の2部構成。
前半は、パネラーの方々から実際に設計された「課題」作品をご紹介いただき、ここから「課題」の特徴や出題者の意図を探っていきます。
青山さんは、1年生から4年生までの設計「課題」作品をご説明くださいました。
そのまま建築可能なのでは、という精緻な矩計図に会場からうなり声が上がりました。
井上さんは、3年時の坂本一成先生と4年時の竹山実先生の「課題」作品をご披露されました。
それぞれの詩的な表現に魅了されるとともに、出題者の意図や時代的な特徴が見受けられるものでした。
山本さんは、学生運動(全共闘)や万博の後、学生時代を過ごされた第一次オイルショックによる失われた時代について、ご自身のスタンスをご説明されました。また、出題者と学生との対話において、協働的に編まれたものとして「課題」が成立しているというお話は、テーマに深度を与えてくださったと思います。
後半の第2部では、より抽象度を上げて、武蔵野美術大学建築学科の設計「課題」とは何かについて、クロストークで盛り上がりました。科の女子学生が多い現状について、これが「課題」にどのように影響しているのか、なんていう話にまで発展したのも日月シンポならではの光景です。
シンポジウムの最後は質疑回答に充てられました。多くの質問が投げかけられ、予定の3時間の枠には納まりきらず、その後の懇親会で延長戦へ。盛況のうちに幕を閉じました。それでも終わらず・・・・・・。
日月会では、今後も継続して「課題」をテーマに多角的にシンポジウムを開催して参ります。課題文=テキストに立ち返り、課題を通じて出題者の意図を読み込み、これに答えた学生の作品を鑑賞し、その背後にある時代性や、建築を主軸とした文化的状況を探っていきます。そしてこれからの武蔵野美術大学建築学科のあるべき姿、その青図を描いていこうと考えております。
以下、シンポジウムの各パネリストから所感をいただきましたので、掲載いたします。
山本 幸正(7期/保坂陽一郎建築研究所 代表取締役)
「学生時代の課題について」
日常の仕事では、リスク回避や、市場状況への配慮等、ものづくりの本質を見失うことが多いので、学生時代の設計課題でのプレゼンテーション及び設計作品への取り組みが、ものづくりにとって大切であることを気付かされました。
学生時代の設計課題の講評での熱い思いは、今でも自分にとって大切な思い出です。
井上 瑤子(11期/文化女子大学教授/アトリエ・ノット 主宰)
山本さんから卒業後に研究室の手伝いで中央線沿いの洋館調査に携わった話があり、武蔵美ならではの自由さを思い出しました。同期のメンバーは私を含め、皆、決して勤勉なタイプではなかったと思いますが、それでも4年生くらいになると独自でまちあるきを試みたり、気になる著名建築家の設計した住宅を行脚したりした覚えがあります。あの頃、先生たちはそれぞれの設計の仕事を進めつつ学生教育に従事する中で、手取り足取りの指導はせずに俺の背中を見ろという態度もしていらしたように思います。一方私たちは素直に応じる世代ではなく、先生と我々の同等性などを生意気にも論じて、それゆえ立派な結果を提示しないとまずい状況に自らを追い込み、それが目標となって課題作品を仕上げるきっかけを作っていたのでした。社会人になった時に知識も技術も半人前でしたが、問題に立ち向かう精神力を携わったことは十分に感謝しました。
今回、教育はどこまで面倒見るべきなのかという課題を突きつけられました。
楽しいシンポジウムでした。
青山 恭之(14期/アトリエ・リング一級建築士事務所 主宰)
「クロッキー帳で考える」
今回、学生時代の課題を振り返ってみて、1・2年のころは、図面・パース・模型といった表現の技術を向上させることに夢中になっていたのが、3年のころから、課題の内容を考えることにより多くの時間を割くように変化していくことが分かった。人間とは?社会とは?建築とは?という問いを深めざるを得ない課題の内容になっていったということだろう。その分、エスキースのために費やすクロッキー帳のページ数は増えていっている。当時、考えるというのは直接手を動かすことだったのだ。クロッキー帳のページは、スケッチがあり、言葉があり、文章の断片があり、またスケッチがあり・・・。考えが止まると、身の回りにある物や、人をクロッキー。なかなか「かたち」に届かない。コンピューターのなかった時代は、思考と表現は、まさに「手」によって直接むすびついていたと思う。武蔵美でついたクロッキー帳で考えるという習慣は、今でも続いている。
司会所感
小倉 康正(18期/武蔵野美術大学建築学科講師)
「3本の糸」
4回目となる日月進歩。これまではOBの多彩な活動をとおして、さまざまな方向から建築学科の50年を間接的に照らしてきましたが、いよいよ「課題」というテーマをもって50年の歴史に分け入ります。50年を3つの時代に分け、それぞれの時代を学生として過ごしたOBをパネラーに招く3回連続企画。初回は1970年代の方々に集まっていただきました。
作品というのは制作時にかけたエネルギーを保持するものなのだなぁ。とパネラーのみなさんの課題をみながらつくづくおもいました。図面や模型がスクリーンに映し出された瞬間に発散するものがある。その意味では絵画や彫刻といった表現と変わらないのです。
一方で、課題ごとに作者の中でもスタイルが変化する。その表現内容の違いを興味深くみました。つまりそれは、作品は表現であると同時に出題者(先生)とのコミュニケーションの結果でもあるということでしょう。
そして作り手は自分が属する時代のカラーからは自由になれないものです。
表現、コミュニケーション、時代、これら3本の糸が今後のシンポジウムでどのような絡まりを見せるのでしょうか。
ムサビの教育スタイルをひとつの定番に位置づけてほしい。芸術・工学の綜合としての建築を忘れないこと。 つくることが困難な時代だからこそ、そこにともなう説得と責任をしっかりと受け止めてほしい。
最後に伺った建築学科今後の50年への提言、心に沁みました。