2014年4月26日(土)、建築学科研究室にて日月会シンポが開催されました。
2014年9月の「武蔵野美術大学建築学科創設50周年式典(仮称)」に先立ち、日月会では、今までさまざまな分野で活躍されている卒業生の方々をパネラーとしてお呼びして、シンポジウムを継続して参りました。
今回は、その5回目になります。また、50周年を節目として、日月会では「課題」というテーマのもと、「課題」を通じて科の歴史と建築教育の特徴を探ろうとする主旨で開催されるシンポジウムの2回目でもあります。
1970年代に建築学科に在籍されていたパネラーの方々による「日月会シンポ 第4回」に引き続き、1980年代前半から90年代前半を学生として過ごされた4人のパネラーにお越しいただきました。
加藤哲也さん(18期)加藤哲也建築設計事務所 主宰
酒向昇さん(21期)竹中工務店 勤務
田宮晃志さん(24期)ブラウ・トラウム・アーキテクツ 主宰
林英理子さん(27期)リュースニングランドスケープ 主宰
司会進行は、小倉康正さん(18期)武蔵野美術大学建築学科講師です。
シンポジウムは、前後半の2部構成。前半は、パネラーの方々から、実際に設計された「課題」作品を当時の課題文とともにご紹介いただき、「課題」の特徴や出題者の意図、学生当時の思考の変遷について語っていただきました。
林さんは、分からないままに設計を開始した1年時の作品から、作図とプレゼンテーションのスキルを身につけながら、ダイナミックに変貌していく作品をご紹介くださいました。進級に伴い、大きな建築課題へと移行していく過程で、建築する規範となる敷地、地形へ興味の対象が移っていったこと、こうした思考が今日のランドスケープに従事することにつながってもいるというお話は、大変興味深いものでした。
田宮さんは、同級生と競い合いながら、他を圧倒するようような大きな作品を制作されていました。学部時代のひとつの課題に6畳もある模型を提出されていたことには、驚かされました。グラフィックやファッションなどにも影響を受けながら、コピー技術などのデジタルスキルが手軽に導入できるようにもなってきていたことを利用して、極めて高度なプレゼンテーションを行なわれていました。
現在、コンピュータが一般化したが故に、プレゼンテーションが画一化してしまうような逆転した現象が学生課題で見受けられますが、学生のみなさんには、こうしたプレゼンテーションを学んでほしいものです。
酒向さんは、学年を重ねるごとに、建築に対する深度が増していく作品精度をご提示くださいました。近現代の多くの歴史的作品を丹念に読み込まれていて、これを消化し、アウトプットする知的な手法と完成度の高い作品に魅了されました。故にパネラーの方々の中で、最も建築を取り巻く時代的な特徴を反映してもいて、当時の建築、文化的な背景という切り口からも多くを語れるように思いました。
加藤さんは、緻密で端正な設計とドローイングの数々をご紹介いただきました。80年代初頭までは、模型に対する比重が小さく、反対に図面精度とその内容に重きが置かれていたとのことです。そのせいか、断面的な思考による空間創造と美しいドローイングは、秀逸でした。プレゼンテーションによるところではなく、設計自体に労力をかけるということ、それ故にじっくりと設計を読み込むことのできる厚みのある作品をご披露いただきました。
第2部は、小倉さんの進行により、パネラーの方々のクロストークになりました。聴講されていた方々、学生の他、建築学科教授の源先生も加わり、当時の思い出話から、課題文に託された出題者の考え、それを読み込めない学生(笑)、現在の設計課題、課題環境との相違等、話は尽きることなく多岐にわたりました。
3時間に渡るシンポジウムは、あっという間に終了、まだまだ話足りないので、引き続きの懇親会で、さらなる盛り上がりをみせました。
「課題」を通じて1970年代から90年代前半まで2回のシンポジウムが開催され、時代背景、学生個人の思考と表現、課題出題者の意図、武蔵野美術大学建築学科の特徴など、徐々に明確化されてきたように思います。学生時代は、目の前にある課題に対して回答することに精一杯で、ややもするとそれは閉じた思考に陥ることにもなりかねません。今回「課題」そのものに焦点を当てることは、課題に対するより俯瞰的な「目」を獲得することにもなるのではないでしょうか。そうした意味において、次回のシンポジウムでは、より多くの学生のみなさんの参加を願わずにはいられません。
2時間の懇親会もあっという間にお開きとなり、パネラーの方々、参加いただいたみなさまも充実した時間をお過ごしいただけたように思います。
えっ?全然話し足りない・・・?
このあと鷹の台の駅前に場所を移して、長い夜は、まだまだ続くのでした。