第14回 日月会建築賞
2012年度
開催情報
開催日
2012年7月7日(土)
審査員
審査委員長
小泉 一斉 | 29期 |
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審査員
小林 祺長 | 2期 |
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清水 達也 | 18期 |
向田 良文 | 22期 |
千葉 万由子 | 31期 |
船曳 桜子 | 32期 |
内海 聡 | 34期 |
北嶋 勇佑 | 45期 |
エントリー作品数
27作品
エントリー課題
菊地スタジオ: | 「グラフィックでつながる都市の複合施設」 |
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高橋スタジオ: | 「グラデーショナル」 「JR中央ラインモール計画」 |
長尾スタジオ: | 「神楽坂プロジェクト」 |
宮下スタジオ: | 「Design with Nature」 |
太陽賞受賞作品
Bambrella
柳川 藍子 藩 セイエン 内山 栞 篠田 咲和子 (宮下スタジオ)
作品の主旨
「自然との対話とは?」
そう考えた時、私たちは共通の思い出に気づきその中に解決の鍵を見出した。
光、風、雨、音・・・そういった物を自然というのなら、それらとの会話はまず彼らを意識しなければ始まらない。ごく自然に受け流している彼らをより強く認識させる装置としてこの「BAMBRELLA(バンブレラ)」は作られた。
BAMBRELLAは多様な空間構成を行うことが出来る。数を増やして行くことで複数が入れる囲まれた空間を作ることも、光を反射させて人目を集めることも出来る。自然との対話をする場所であると同時に人々の交わる場所にもなりうる。そしてその空間は思いのままに移動させることが出来るのだ。
自然と同じ様に様々に変化しながらBAMBRELLAは人と自然とを結びつける。
素材についてですが自然素材のみという条件があったので竹、麻布、縫い糸、麻縄のみで構成しています。審査の際素材選びに関してなんらかの物議があったようですが、私たちが竹という素材に決めたのは「学校にあったから」などという理由では決してなく、傘の形を作る時、どうしてもカーブを描くしなる素材が必要だったからです。そしてある程度短くても曲がり、尚かつ強度のあるものが好ましかったので結果、竹を使うことになりました。
受賞後の感想
グループ制作ということで全員の意見をまとめるのはとても大変でした。妥協するのではなくそれぞれの意見が上手くいかせる方法を追求し、そうして生まれた「BAMBRELLA」でしたが、日月会賞という場で更に多くの方からの意見を聞く事ができ、自分たちの甘さや改善点を発見する事ができました。
悔しい思いもしましたがその言葉をバネに精進していこうと思います。
エスキスや素材を決める段階で、課題の「自然との対話」というテーマの捉え方がなかなか案に繋げられずにとても悩みました。遊びだけにならず、けれど楽しさや魅力がないと人に受け入れてもらえない、そういった面をメンバーで話し合っていき、結果的に他人に興味を持ってもらえるものができたと感じています。
また、グループでの話し合いとともに審査員の方々への説明やプレゼンも、こちらの考えを伝えることの難しさに苦戦しました。プレゼンの話し方ひとつで作品の印象も大きく違ってしまうこと。また作品に興味を示してくれていない方へのプレゼンなどまだまだ考えるべきことがあり、よい経験になりました。
課題を行う過程で、様々なアクシデントなどに見舞われどうなる事かと思いましだが、四人で最後まで作品を作り上げ、このような賞をいただきとても嬉しく思います。この課題が更なるステップアップに繋がるよう努力したいです。
満月賞受賞作品
たなぼこ
若林 由理 荒井 瑛里香 藤村 駿斗 (高橋スタジオ)
作品の主旨
国立市に新たな交流の拠点を提案する。国立市には現在多くの市民サークルが存在しているが、その活動が内部での活動にとどまってしまっている。サークル活動を地域に発信し、お互いが交流していける新たな場を設けることで、高架下という空間の有効利用、地域の活性化、高架によって分断されてしまった国立市の南北のつながりを取り戻す。多様なイベントスペースを、高さや面積の違うプレートでつくり出す。そこに、老若男女に親しまれている本という媒体を入れていくことによって利用者が本からイベントへ、イベントから本へ、そして人から人へと出会っていけるような空間を提案する。
受賞後の感想
今回の講評では、さまざまな意見をいただき、いままで気づかなかった部分や、足りないものに気づくことができ、とても刺激になり、参考になりました。今回の経験を糧とし、今後も精進していきたいと思います。ありがとうございました。
三日月賞受賞作品
芸者とおり
深澤 理絵子 (長尾スタジオ)
作品の主旨
神楽坂は昔の料亭や路地の残る歴史ある街である。 この土地に商業と住居の複合施設を設計した。 敷地は神楽坂のメインストリートである神楽坂通りと路地にあたる芸者新道に挟まれた土 地である。 しかし、芸者新道は二項道路となっているため、新しく建てる場合はセットバックして建 てなければいけない。 その影響により神楽坂の特徴である狭く趣のある路地空間は失われ始めている。 そこで、幅一間の路地空間を建築に取り込んだ。
受賞後の感想
たくさんの先輩方に作品を見ていただき、講評を受けることができたということはとて も良い経験になりました。何回もプレゼンテーションしていくうちに自分の弱い部分、足 りないものが見えてきました。 今回の経験を生かし、前進できるよう日々精進していきたいと思います。 このような貴重な機会を設けていただきありがとうございました。
新月賞受賞作品
表/裏
石川 あかね (菊池スタジオ)
作品の主旨
敷地が様々な角度から人に見られる場所だったので、どこから使っても誰が使っても表と裏を自由に決めることができる空間を考えました。駅側から見ても反対側から見ても同じ割り付けになっており、横長の格子で区切られたコマの中に室内の風景が切り取られ、人が内部を利用することでいろいろな風景が生まれるような関係をもたせ、人がいることで作られるグラフィックを計画しました。
受賞後の感想
たくさんの方に何度もプレゼンをしていくうちにどんなことをどのように説明すれば伝わるか、について考えることができました。課題とは違う視点で見ていただけたり、作品に対してたくさんの意見を頂けとても勉強になりました。実際に働いている人たちから見て、自分の考え方や空間の作り方はどんなふうに見えるのかを聞くことができてこれから課題にどうやって向き合っていくかをよく考えられるいい機会になり、自分にとってとてもいい経験になったと思います。後期課題では今回頂いたアドバイスを生かして、たのしく課題に取り組めたら、と思っています。
審査員評
審査委員長:小泉 一斉(29期)
太陽賞
『Bambrella』 柳川 藍子、藩 セイエン、内山 栞、篠田 咲和子(宮下スタジオ)
建築的行為は、意図せずとも「空間」なるものを創造してしまう。「原寸の空間をつくれ」という課題に対して、では一体どのような回答を用意できるだろうか。「空間」は、いとも容易く成立してしまうのに、その方法は無限であり、不可視で、言語の外側にある。
この作品は、複数の竹フレームの傘(自然素材を使用することも課題条件にある)の立体的な構成のヴァリエーションによって、多様な「空間」を生むものである。
私たちは、誰でも幼き日に複数の傘を開いて重ねて出来上がったドーム状の内部に身をひそめた経験を持つだろう。母体回帰、秘密基地・・・幼少の記憶のフラッシュバック、つまり私たちは、この作品を通じて「空間」の原初的な記憶を共有する。
満月賞
『たなぼこ』 若林 由理、荒井 瑛里香、藤村 駿斗(高橋スタジオ)
柄谷行人は、近代文学における言文一致を「透明」と表現したが、これに対し「グラデーショナル」という課題は、言語化されたことによってこぼれ落ちた「何か」をすくいあげる、あるいは言語化されることで分節された境界を疑うことに光をあてたものといえる。続く後半課題は、JR中央線高架下の計画であるが、線路という境界線下の、結果として出来てしまった空洞の有効活用は、やはり「グラデーショナル」の具体的で実践的な応用であると捉えるべきであろう。
この作品では、様々な高さ、大きさのスラブ(棚)が高架によって分断された地域をつなぎ、日常、非日常の多様なシーンに対応する地域交流の場を計画している。
この課題が「グラデーショナル」の発展的実践ならば、計画自体やや言語的に過ぎるかもしれないが、俯瞰的な視点(図像的なフレーム)において全体を計画する一方で、これを活用する地域住民に対して出来るだけ寄り添おうとしている(貸し出し式の書架による全体の統合とその使用方法)手法は、秀逸である。この横断的な思考は、「こう使いなさい」と「勝手に使いなさい」をうまく回避している。
三日月賞
『芸者とおり』 深澤 理絵子(長尾スタジオ)
課題は、路地景観保全のために多くの制限が加えられている神楽坂の敷地に、商と住の複合建築を計画するものである。
この作品は、敷地内に適度に蛇行した路地を通し、結果生じる計画建築を分断して亀裂を生む屋外空間と、これに面する内部空間が相互に関係を結ぶ計画である。
都心の路地は、もはやビルの亀裂の谷の底にある。ここでは、神楽坂ならではのプロポーションを維持しながら、路地を立体的なヴォイドとして再定義している。それは、都市のコンテクストを読み込みながら批評的でもあり、同時に、具体的な計画に対し愚直にスタディを積み重ねた結果といえる。
新月賞
『表/裏』 石川 あかね(菊池スタジオ)
「グラフィックでつながる都市の複合施設」という課題に対して、この作品は、課題で要求されているものを満たしているとは思えない。ガラスファサード越しの内部空間のシークエンスをグラフィックと呼ぶには無理があるのではないか。
しかし、他の作品の多くが建築ファサードの複雑な扱いに着目していたのに対し、この作品は、徹底してガラス越しの内部を彩ろうとする。事実端正につくり込まれた内部を持つ模型は、見る者を楽しませてくれる。
建築は難しくないよ、と教えてくれる一方で、けれどしかし、建築の多様性について学んでも欲しい、という意味での新月賞。
総評
昔、「絶対」なるものさしがあった。家族であれば、お父さんがそういう存在だった。お父さんが決めたことに家族は従ったし、それが「正解」だった。だからみんなが従うこのものさしを「共有すべき価値」と言った。けれどいつしか、誰かが「唯一の正解なんて本当なの?」と疑って、多様な「価値」を認める様々なものさしをつくることにした。これを「相対化」という。お父さんは、家族の「絶対」なるものさしではなくなって、家の中でもあんまりえばれなくなって、それどころか娘にパンツを箸でつままれたり、逆に「お父さん大好き!」などと娘に腕組みされてにやにやしてしまうのである。お父さんの受難は、当然お父さんだけのことではなくて、世の中のありとあらゆる絶対なるものに及んだ。かつて「絶対」なるものさしに従っていた私たちは、多様でたくさんのものさしの中から自分にとって価値あるものを見つければよくなったので、とても自由になった。けれど、他の人と価値を共有することが難しくなってしまった。
これは寓話ではなく、事実である。
課題は、問題を提起してくれるが正解を導いてはくれない。建築計画学的に緻密で図面精度の高い作品が評価されるとは限らないし、個人的な嗜好作品が共感を呼ぶこともある。個々の審査員の価値の基準は多様で、それ故多くの作品が賞の候補に挙げられるし(事実挙げられたし)、票も割れるのである。
受賞者は、賞を糧にしてもらえれば幸いである。惜しくも賞を逃した人は、自身の作品について、あえて決断主義的に価値と認めたものについて、自覚的であってほしい。それが極めて個人的な価値であったとしても、これを徹底していく行為が、超越に転ずる(かもしれない)のである。
それは、太陽賞「Bambrella」が、傘による空間表現を徹底したことによって、「共有すべき価値」としてではなく、「誰もが経験したことのある記憶の共有」という点で共感を得たように、である。
審査委員長講評-outside
講評文総評は、特に賞を逃した学生諸君へエールを送るつもりで書いた。しかし、「自分の作品の価値に自覚的であれ」なんて言われて、そんなに簡単に自覚できるものだろうか。
『われわれの社会は、今、終わりということへの感覚を、鈍化させてきている。終わりの感覚が終わったときに、偶有性への思い(他でもよかったのではないか、他でもありえたのではないか)がいつまでも解消されず、現実を「必然(これしかないこと)」として引き受けることができなくなるのだ。』
これは、相対化する世界の「終わりの感覚」について大澤真幸が語ったものである。
次のはじまりに向き合うために、学生は、きちんと前半課題を終わらせることができただろうか。
私は、「はい、これでおしま〜い!」と高らかに宣言できただろうか。
思えば私は、賞にノミネートされながらこれを逃した学生にコメントしていない。
私は、そうした学生に対してきちんとコメントをし、学生は、各自の作品の価値について自覚し、そうすることで「第14回日月会賞をきちんと終わらさなければならない」と勝手に思い立ったのである。
課題を如何に解釈したか。解釈は、ジャンプして実体としてアウトプットされる。そこには、作家個々人が決断主義的に「価値」だと認めた「何か」が立ち現れる。私は、この「何か」をきちんと言葉として現出できるか、という一点において作品へできるだけの内在を試みる。しかし、そうして私が現出した「価値なる何か」は、もはや作家が意図した「価値なる何か」とは異なるものである。つまりズレが生じる。このズレをまたいで作品と批評が交信するとき、ここに「価値」は超越して強化され、共有の度合いを高めることが出来るのではないか、と、私は考える。
(以下作品リスト順)
課題 「グラフィックでつながる都市の複合施設」
● 佐藤 有記 『透明な鉄と不透明なガラス』
● 鈴木 将平 『フウケイガラス』
● 豊田 正義 『Plus One』
グラフィックと建築が良好な関係を結ぶのにまず思いつくのは、ファサードの処理であろう。事実、学生の作品には、ファサードについて言及しているものが多数であった。
「透明な鉄と不透明なガラス」は、熱によって色を変える塗料の塗られたガラスと鉄板のファサードが、内部の不可視を外部に表象する点がユニークだ。境界線自体ではなく、これを隔てて内部と外部が交換していくことにまで思考を広げているからである。柴久喜航氏の「昼夜反転」も同様のアイディアがみられる。
「Plus One」は、様々なガラスが彩るカーテンウォールが特徴の端正な作品である。対して「フウケイガラス」は、ファサードについて言及しながらも、作者の興味の対象は、造形のダイナミズムにある。
趣の異なるふたつの作品であるが、今後、嗜好性を超えて高次の批評性を実現するためには、過去の(建築)理論を学び、デザインを徹底させることが重要になる。空間と相補的に関係を結ぶこうした積み重ねが独創性を生むからであり、ふたりは、そっちを向いていると思うので。
今回の学生作品では見ることが叶わなかったが、オーバーレイという手法も効果的ではないかと私は思う。表参道のアパレルビルのいくつかに見られる、ファサードを二重にして立ち上がる厚みのある立面、というのは、いささかベタな例かもしれない。しかし、Bernhard Hoesliが解いた、ル・コルビュジェのピューリズムの絵画とガルシュの住宅の類似性(面のオーバーレイによる空間構成)や文字(言葉)が透明な板の上で重合する詩人瀧口修造と造形作家野中ユリの共作「不知抄」などは、グラフィカルな表現が空間を創造している。
何を言いたいかといえば、もう一度空間について(それは現代では、建築をつくるデータベース化されたひとつの要素でしかないが)考えてみるのも良いのだろう、ということである。
課題 「グラデーショナル」
● 大重 雄暉 『天日家』
● 田中 遥 『わたなべさんとボク』
● 若林 由理 『kitelekhos』
この課題は、これに続く後半課題「JR中央ラインモール計画」の習作である、と私は解釈したので、選考から外した。同課題については、講評文に記した通りである。
「天日家」は、光源なき光が場を決定し、「わたなべさんとボク」は、建築のメタファーとしての「わたなべさん」(木)との生活を物語にまとめあげた。「kitelekhos」は、樹種の異なる木の断面、その大きさの差異が、寸法と空間と生活を決定していく。
近代建築が人間を中心に据えてその合理性のもとに自然を改造していくものであるとすれば、これら3つの作品は、どれも「そこに在るもの=自然」と良好な関係を結ぶための距離について検討したものといえる。一言でいえば「そのままつかわせていただく」で、近代的言語的決定からの回避でもある。どれもよく練られた秀作といえる。
この課題は、どうしても深読みしたくなる。ミシェル・フーコーの「エピステーメー」や東浩紀の「半透明」を想起させるからだ。ポストモダン状況の進行するこの世界において、言葉と物が近代的な関係からどのように変異しているのか。それは、建築(的行為)にどのような影響をあたえ、立ち現れた作品は、どのように読まれるのか。しかし、この話は、これでおしまいである。そうした作品が既に仮に存在したとして、それを批評する眼が、今現在私に備わっていないからである。つまり、わからないということ。
課題 「JR中央ラインモール計画」
● 佐藤 穂波、有宗 薫子、萩谷 綾香 『記憶のなかの小さな街』
高架下に機能の異なる小さな木造建築が建ち並び、街並を形成する。それらは、屋根の形状や開口部の処理、濡縁や格子等、いくつかのルールを与えられて、しかし計画が徹底されていないのか、ひとつひとつのデザインも配置もどこかルーズで愛らしい。
「記憶のなかの小さな街」とは、ノスタルジー=懐古に似ている。これを徹底すれば、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」になり、「新横浜ラーメン博物館」になるかもしれないが、これらは脱臭されたノスタルジーである。つまり普遍世界の構築で、母系的自己承認で、結局外部を遮断したオタクの部屋に行き着く。
しかしこの作品は、そっちには行かないし、むしろ逆である。私の想像に過ぎないが、作者(たち)が行った「徹底」とは、グループ内で共感できる記憶のみを拾いだし、曖昧な記憶を曖昧なままで良しとして作品に定着することだったのではないか。懐古的要素は、結果抽出された記憶の断片でしかない。
● 山高 大介 『呼吸する建築』
建築がその実体を弱めて、高架という土木デザインに寄り添う。具体的には、高架を建築として捉え、下部の空洞立面にガラスの扉を二重にして、その開閉によって内外部をコントロールする、というのがこの計画である。内外部が繊細にして緩やかに交換する楽しさがあり、決して派手ではないが、着眼点の面白さがある。
「黄金町バザール」も「2k540 AKI-OKA ARTISAN」もこの計画にした方がいいのになあ、などと思いながら、しかし場所を選ばないというのは、この課題としては正解かどうか。
● 大重 雄暉、井上 岳、清水 太幹 『高架の下、丘の上』
地図を見ることが嫌いな、あるいは得意としない人が方向音痴とは限らない。優れた方向感覚、距離感、状況把握力を持つ人にとっては、俯瞰という点で一元的な、整理という点で記号的な地図の情報など、役に立たないということだってある。
造成してお山をつくって、その頂上から高架の線路を走る電車と国立の街並を臨み、高架下においては、子供の背丈程の洞窟を含む緑の公園が広がる、というのがこの作品である。スケールの横断と立体的な視点は、高架という境界線を巻き込んでわくわくする「場」へと昇華する、のだろう。たぶん。
「言語が邪魔である」はよいとして、では、恣意性がコミュニケーションを実現することは、どこまで可能であろうか。
● 佐野 睦、田中 遥 『家型×3』
株式会社JR中央ラインモールの中央ラインモール基本コンセプトに「ランブリングウォーク(回遊空間)」がある。この計画では、ランブリングウォークを計画の骨格におきながらより強い回遊性を持たせて、これに様々な機能を持った小さな家型の小屋を沿わせている。
既存計画をうまくプロットしているのが良い、使われ方も想像できる、しかし使わせ方が抜け落ちている。「計画」と「反計画」の間を揺れながら、それでも僕らは、計画しなくてはならない、ということですね。
課題 「神楽坂プロジェクト」
● 石井 麻美 『繋がる空間』
「繋がる空間」の計画上の破綻は、むしろ「繋がらないこと」へのいらだちを際立たせる。敷地を分断して、結果計画建築を二分して天にのびる鉄砲階段は、屋上で行き止まる。この下を通る路地は、わずか幅1mで、階段を迂回しなければならず人の進入を拒む。二分された計画建築は、商と住が並列するが、両者が関係を持つまでは計画が行き届いていない。
相対化する世界は、共有すべき価値を失効して人を個人のままに放置する。それは、自由で、孤独な世界だ。だから人は、過剰に「つながる」ことを求めるし、コミュニケーションの自己目的化なんてことが起こってしまう。結局その先にあるのは、自己承認の実現であろう。
この作品を、安易に繋がろうとする、あるいは繋がってしまうことへの反対命題(アンチテーゼ)として捉えると、グッと面白くなる。作者がこのことを自覚して、意図的にトラップを仕掛けられるような今後の計画に期待する。
課題 「Design with Nature」
● 安倍 直人、守友 磨郁、木下 洋介、佐藤 菜美、守永 佳代 『螺旋テント』
芯棒に踏板が螺旋状に取付けられたのが螺旋階段であるが、踏板を傘の骨に変えてこれに布を張ったのがこの作品である。この作品の優れた点は、傘の骨をくるりと巻けば一瞬でテントを折り畳めること、折り畳んだテントを人ひとりで持ち運べること、そして傘を開けば自立することである。
つまり、課題に対する回答としても、アイディアでも、性能でも、極めて完成度の高い作品といえる。
この課題では、「空間を創造する」でおしまいであるが、同時に、ここでの思考訓練は、建築的行為としての空間創造の入口でもある。この作品を成立させている思考が、今後どのように建築(的行為)において発展し、展開されていくのか、楽しみである。
審査会当日の様子
あいにくの雨で蒸し暑い一日となりましたが、
27作品のエントリー、8名の審査委員を迎えて盛況となりました。
菊池スタジオの課題は「グラフィックでつながる都市の複合施設」
高橋スタジオの課題は 「グラデーショナル」と「JR中央ラインモール計画」
長尾スタジオは「神楽坂プロジェクト」。
ただ歩くだけでうれしくなる神楽坂という町に住居と商業の複合施設を作る課題。
わくわくしますねー。
宮下スタジオの課題は「Design with Nature」。
自然と対話しながら、環境-自然-建築-空間について考察し、原寸で作る課題。
今年はあいにくの雨で、本来屋外に展示するものを屋内に移動したため、空間の広がりや周囲との対話が中々表現しにくい状況の中、力作が揃いました。
竹とひもで組んだ傘状のユニットを単位として、連結する数により異なるスケールの空間を生み出そうとした作品。もの自体のできの良さ、バリエーションのプレゼなど完成度の高さが好評でした。何より「楽しそうに元気にやっている!」ところも審査委員には伝わったようです。
今年は過去最多(たぶん)の27作品で、インタビュー時間3時間はあっと言う間。
中々話しが終わらない審査委員の方を拉致して、審査にはいっていただきます。
さて、今年から新たな試みとして審査の内容を少し公開できないか、との取り組みを始めました。
最初の一歩として、第一次投票の内容を審査協議中にすでに外に貼り出して学生の皆さんにも見てもらえるようにしました。
この形式が良かったのか?ほかに方法は?などまた今後ご意見をいただいて改善していきたいと思います。
審査の方は太陽賞候補に「たなぼこ」と「Bambrella」が3票づつ獲得で同点。
議論が白熱しました。
片や迫力ある原寸の作品、片やスタンダードな図面・模型表現による建築作品。
同列に審査するのは中々難しいところでした。
審査時間を大きく超過して、今年は「Bambrella」が太陽賞となりました。
「原寸だから」というチカラ技ではなく、ひもを使ったディテールや麻と竹の素材のもつ清涼感、そして上記にもあげた組み合わせ方による空間の出来方、プレゼなど全てがよく考えられていたところが評価されたのだと思います。
長い時間に渡って真剣に審査してくださいました審査委員の皆様、本当にありがとうございました。
また参加してくださった学生のみなさん、ご協力いただいた研究室の方々、会場へ駆けつけてくれたOBのみなさん、(本当に走ってきてくれた浜田さん!)ありがとうございました。
最後時間制限の中受賞コメントをすっとばしてしまい、多々不備のあった司会進行でした。
この場を借りて御礼とお詫びを申し上げます。
また来年も日月会賞審査会がより盛大に開催されますように、執行部一同今後いっそう努力していきたいと思います。