2016_7 校友会総会 報告

熱田mini27月2日・3日に開催された、校友会総会・MSBサミットならびにに地域フォーラム「アート&デザイン2016愛知」 ~おわり の はじまり そしてMIRAI に参加してまいりました。

名古屋能楽堂 内部

名古屋能楽堂 内部


地域フォーラム「アート&デザイン2016愛知」は、大江宏設計の名古屋能楽堂にて開催されました。オープニング SPECIALとして能楽師 和泉流狂言方 十四世 野村又三郎さん の格の高い狂言が披露されました。本日オリジナル演目との事こと。
狂言mini
まずは、「なるほど・ザ・城と能舞台」と題して、日月会会員であり竹林舎建築研究所代表の木岡敬雄氏より、能舞台の成立から名古屋城まで、室町時代に始まるものつくりのはじまりが語られました。名古屋城には、能舞台は2箇所あり、公的な舞台は土間で、家族用の舞台には床が作られていた。其れは能の成り立ちからきている・・・。謎解き的に講演は進行しました。

第二部は、「エゴからエコへ、そしてエネに向う自動車デザイン」と題してトヨタを中心としたものつくりの中で、デザインを切り口に自由闊達に活躍する先輩たちの思い出話とMIRAIについてシンポジウムが行われました。車の街名古屋を感じる元気いっぱいのお話です。

稲垣典世氏(トヨタ自動車(株)先進技術開発カンパニーデザイン開発部 主査)

片岡祐司(名古屋芸術大学デザイン学部教授)

木村徹(川崎重工業(株)MC&E チーフ リエゾン オフィサー)
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建築のデザインは、詳細な部品の成り立ちから機能までエンジニア領域も含め掌握し、模型などでの検証も含め自ら行います。それに対して工業デザイナーは、エンジニアリング中心にデザイン自体を分業していきます。デザイナーが引いた線がクレーモデラーの協力 によって初めてデザインとして立ち上がってくると。
丸っこい車の登場は、ツールの変化によってデザインが変化して来たからだとの指摘もありました。私は、ニワトリが先か卵が先かとは思いましたが。
未来のバイクのプレゼンテーションの後、「明日の常識今日の非常識」変化への対応力の大切さを締めの言葉に、閉会しました。

翌日、MSBサミットと総会が行われました。「熊本地震への支援報告」に続いてのディスカッションでは、兵庫、宮城、熊本の支部の代表の方が被災経験を語り、災害に対して校友会は何ができるかグループディスカッションが行われました。ここでの協議は、今後の本部会議に反映されます。
サミットmini
総会mini
2日間に渡る、年に一度の校友会最大のイベントは、盛況の内に閉会となりました。

以上 21期・会長 酒向 昇

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第12回フォルマ・フォロ・セミナー報告

IMG_50934月16日(土)、林美樹さん(16期)を新宿サテライトに迎え、第12回フォルマ・フォロセミナーを開催しました。

対談:江原久紀(左官職人)
司会進行:鈴木明(武蔵野美術大学教授 10期)

日月会主催:フォルマ・フォロセミナー第12回のお知らせ

2013 年、建築女子4 人で「くさる家に住む。」を出版された林さん。”ダーウィンが来た”の鳥の巣のように小さく循環することを目指し、住宅を作っていると、話始められました。
 1.近くの山の木を使う
 2.職人技術を未来につなぐ
 3.つくるプロセスを共有する
職人さんとお施主さん交えて、必ず上棟式を行なう林さんのポリシー。
自分がこうしたい、と言って設計するのではなく職人さん達の協業によって良い家が造られるという話をされました。

右:林美樹さん 左:江原久紀さん

右:林美樹さん
左:江原久紀さん


お二人の対談。
江原さんは、マガモ農法で作られたわらを使って土を醸成させると、セルロースが多く残り強い壁になると言った、ケミカルな話も交えながら、職人として漆喰を平に塗るロマンを語られました。
お持ちいただいたコテ

お持ちいただいたコテ


その後、実演タイムには、学生さんや、卒業生の方達がこまい掛けと土壁塗り体験をしました。
短い時間ではありますが、セミナーでの実演は、初めての企画であり大変盛り上がりました。
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ムサビ建築ゆかりの方をお呼びして開催してきたフォルマフォロセミナーも12回となり、
これからの展開が楽しみです。
林さんを中心に和やかな懇親会が行われました。
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以上 21期・会長 酒向 昇

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2016_4  平成28年度進路相談会

恒例の進路相談会を開催しました。

研究室と共催、司会は小林先生にお願いしました。

研究室と共催、司会は小林先生にお願いしました。


3年生を中心に40名近い学生が参加しました。
今年のパネラーは、以下の6名

緑川雅之(槇総合計画事務所勤務)
山村尚子(一級建築士事務所すずき代表)
小倉壮平(「NPO法人 いわむろや」事務局長(理事))
太田 遼(美術家)
下田直彦(東環境・建築研究所勤務)
豊島浩太郎(大林組設計部勤務)
パワポにて、先輩が自らの考えや体験談を語ってくれました。

緑川さん(28期)

緑川さん(28期)

槇先生にあこがれ、アルバイトとして門を叩いたところからの話をして頂けました。
山村さん(39期)

山村さん(39期)

手塚事務所に勤め始め、その後、夫婦で事務所を構えた話をされました。
小倉さん(39期)

小倉さん(39期)

山村さんと同期、長尾先生の岩室アートサイトをきっかけに現在のNPOの活動に到る話をして頂けました。
太田さん(41期)

太田さん(41期)

建築の心をベースにしたアート活動の始まりと現在について語って頂けました。
下田さん(47期)

下田さん(47期)

東事務所に勤め、現在の仕事やアトリエの仕事について説明して頂けました。
豊島さん(46期)

豊島さん(46期)

アトリエに対して、ゼネコンに就職するには、ゼネコンの仕事とは、解りやすくアドバイスしてくれました。

解りやすい資料と解説によって、例年になく理解が深まった会になったと感じました。

日月会会長 さこうのぼる

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2016_4 平成28年度 入学式

新入生の皆様、武蔵野美術大学建築学科に入学おめでとうございます。日月会を代表して、4月4日に鷹の台キャンパスで行われた入学式に参加しました。あいにくの雨模様ながら例年になく参加者の多い入学式でした。

例年より多くの入学生とその父兄

例年より多くの入学生とその父兄

式典が終わる頃には、雨もあがりました。

式典が終わる頃には、雨もあがりました。


ムサビ恒例の演出された入学式です。巨大な半紙に武蔵野美術大学と題字を書いています。
題字
花吹雪
サークル勧誘も盛んです

サークル勧誘も盛んです


場所を移して、建築学科の専任教授の祝辞に続き、祝辞を述べさせて頂きました。
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父兄交えた懇親会、80人の入学生に対し倍以上の参加者がありました。最高入場者数です。
入学祝いの乾杯を行なう布施教授

入学祝いの乾杯を行なう布施教授

会場に入りきらない参加者

会場に入りきらない参加者

新入生のみなさん、ご両親様、本日は、ご入学おめでとうございます。みなさんは本日、学問としての建築を学び始め、長い建築人生を踏み出そうとしています。
 美大の建築学科の学生は、先生たちと必至になって設計課題に向き合うことが最も中心的な学習です。その中で、解決すべき事が何で、どう解決するかという事を見つけて行き、それをあるかたちに残す訓練を積み重ねて下さい。広い意味での問題解決プロセスのトレーニングです。これが、一生使える創造力を、心の中に築くことになります。そして、これが、皆さん美大卒業生の重要なスキルになります。
 もう一つ大切な事があります。それは、ムサビの中で美大の空気を身体にしみ込ませることです。
私は会長3年目になりますが、その3年間の経験の中で解った事があります。会って話をする機会が増えた先輩・後輩の卒業生は、皆、他学科の仲間や芸祭などを通じて美大生の自由な気分を醸成させてきています。それが社会に出た時に、状況に流されない強さとなって現れています。皆さんもそうなるために、是非学校で色々な事をして下さい。そして社会に出る時には、堂々と「美大出身」ですと言って下さい。
 みなさんのこれからの4年間が実り多い日々となられますよう、心よりお祈りいたします。

日月会会長 酒向昇(21期)

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2016_3 平成27年度 卒業式

年々多くなる参加者

年々多くなる参加者

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
今日から日月会正会員となり、私たちの仲間いりをしたことをお慶び申し上げます。
視で2

建築学科の授与

建築学科の授与

日月会の代表として、全体の卒業式、建築学科学部の卒業式と建築学科大学院の卒業式及び懇親会に参加してきました。
午前中は、全学の卒業式が体育館で行なわれました。
今年は、各学科代表の授与時に学科の教授が祝いの水墨画を書くという趣向。
建築学科は菊池先生が八ヶ岳の絵を描きました。

エンディングの竜

エンディングの竜


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その後、学科の卒業証書授与式に移りました。
研究室毎に代表に卒業証書が授与されました。
教授陣

学科主任 布施教授より暖かい祝辞が述べられ、卒業生代表の奥泉さんが答辞を述べました。

布施教授の祝辞

布施教授の祝辞
[caption id="attachment_3189" align="aligncenter" width="480"]答辞を読みあげる奥泉理佐子さん 答辞を読みあげる奥泉理佐子さん

その後、恒例ですが研究室にて修士課程の卒業式がフランクなかたちで開催されました。

修士卒業証書授与

卒業生の皆さん
この4年が短かったと感じている人もいると思いますが、人生で何かを4年かけてじっくり学ぶ機会はそうありません。ムサビという環境の中で、皆さんは自ら考えながら何かをかたちにする教育を受けてきました。これはムサビ卒業生の特別な力であると思います。迷ったとき、自信がなくなったとき、「他の人よりその訓練が出来ているんだから、大丈夫」と、ムサビを思い出し、自信を持って前に進んで下さい。仲間を大切に。

門2
以上 21期・会長 酒向 昇

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2016_1「武蔵野美術大学建築祭2016 竹山賞」受賞式開催報告(日月会共催)

ゲート小2016年1月16日、竹山賞授与式が行われました。竹山賞は、本年の12回目を最終回とし終了いたします。竹山賞は、卒業生の多様な活動の積み重ねの中でオリジナリティーあふれる作品にご自身が選考、授与される賞です。
青空の中、大学キャンパス全体が卒制/修了制作展の会場となっており、華やかさと学生のエネルギーを感じました。
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第12回 竹山賞
受賞者:七田紹匡(しちだ じょうきょう) 1988年 建築学科卒業
受賞作:Eco Village MIYORI 持続可能な生活の拠点としての自力建築群七田小受賞作
「大学での学業の成果は感じられないが、7年間に渡り自力で家を作り続けた戦果に対して、評価・賞を与える」と、竹山先生より講評の言葉が披露されました。
受賞者の七田さんより、写真を交え古民家2軒分の廃材を使って3人の子供達と共に自給自足をしながら建設を続けた物語が語られました。

午後からは第2部として、卒制選抜講評会が盛大に開催されました。
33名の専任・客員・非常勤の先生方による投票による合議(1次審査・1次選抜12名のプレゼン・2次審査)を経て学科賞(金・銀・銅・奨励賞)・学校賞(優秀賞)が決定されました。詳細は、学科HPをご覧下さい。

http://www.arc.musabi.ac.jp/news/2016/01/2016.html

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建築学科最大のイベント建築祭は、幕を閉じました。

以上 21期・会長 酒向 昇

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「長尾重武名誉教授出版記念会」の報告

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11月3日 武蔵野美術大学新宿サテライトにおいて、長尾重武名誉教授が執筆されました「ピラネージ幻想の牢獄」出版記念会が行われました。
日月会のHPでもご紹介させていただいておりましたので、ご報告いたします。
長尾本鈴木明教授を司会に、ピラネージに造詣の深いゲストパネラーにとして横手善洋・小澤京子・岡田哲史の3名を招待し、唯一の実作の紹介から始まり、ピラネージとは誰なのかという話題に。
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この空想上の外部の様な牢獄内では、拷問をうけている人は少なく、普通に生活が行われているというような話も出る中、1時間のミニシンポジウムはあっという間に終了しました。
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その後、長尾先生らしくサックスの生演奏をバックにしたパーティーが開催され、小澤京子氏から3D映像化された『幻想の牢獄』も提供され、ピラネージナイトは盛り上がってゆきました。
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ピラネージ「牢獄」論 ー描かれた幻想の迷宮ー
長尾重武編著  中央公論美術出版  3万8000円+税
A4判上性函入 解説書300ページ 挿図234点 ファクシミリ版 30葉
是非 ご購入下さい。

以上 21期・会長 酒向 昇

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「日月シンポ・第7回」開催の報告

シンポジウム「日月シンポ・第7回」が10月25日(日)に武蔵野美術大学鷹の台校舎にて行われました。昨年が建築学科創設50周年であったため、2011年から企画がスタートしたもので、芸祭期間中にホームカミングデーとして開催してきたものです。

正門のゲート、本年の芸祭テーマはスパイ

正門のゲート、本年の芸祭テーマはスパイ


テーマ  建築とケンチク ~50周年記念出版をめぐって~
建築学科創設50周年を記念して出昨年版された「地平線を超えて」と「設計課題を語る」。
その2冊に関わった方々をお招きしてムサビ建築(ケンチク)の特徴を探ろうとするものです。
今年で3回目となる校友会主催の模擬店 12号館8階「サロン風月」を会場に行いました。

パネラー
臼田桃子(武蔵野美術大学建築学科研究室助手)「地平線を超えて」(研究室編)編集
尾内志帆(39期 株式会社慶應学術事業会) 「設計課題を語る」(日月会編)編集
山道雄太(株式会社フリックスタジオ)     上記2冊の編集協力
金子祐介(建築史家)             「設計課題を語る」編集協力
小倉康正(18期 武蔵野美術大学非常勤講師)「日月シンポ」1回から6回まで司会

司会進行
小林敦(18期 武蔵野美術大学非常勤講師) 

座談会スタート

座談会スタート


司会の小林さんより、研究室が中心となって学科50年のカリキュラムや先生、校舎の変遷を中心にまとめ「地平線を超えて」と、日月会が卒業生の様々な活動をアーカイブするために、設計課題を切り口にまとめた「設計課題を語る」、の2冊を作ったという紹介がありました。

「地平線を超えて」を担当した臼田さん

「地平線を超えて」を担当した臼田さん

他校から武蔵美の助手になり、今回の編集を担当した臼田さんは、改めてムサビの建築学科の歴史の深さと卒業生の層の厚さを感じ、ムサビの多様性という印象を語られました。

「設計課題を語る」を担当した尾内さん

「設計課題を語る」を担当した尾内さん

尾内さんは自らの編集の実務経験から、今回のボランティアが「編集する私、編集される私」を考えさせられる契機となったことを話されました。

上記2冊の編集協力して頂いたフリックスタジオの山道さん

上記2冊の編集協力して頂いたフリックスタジオの山道さん

自身が芝浦工業大学出身である山道さんは、こういったアーカイブは卒業生のアイデンティーであり、掘り起こす活動の重要性と大変さについて語って頂けました。

「設計課題を語る」の編集協力頂いた金子さん

「設計課題を語る」の編集協力頂いた金子さん

金子さんは、都合によりスカイプでの参加となりました。ご自身の文化庁でのオーラルヒストリー取材の経験も交え、作家や対象となる人物をヒロイックではなく客観的に捉える視点の重要性を訴えられました。

「日月シンポ」1回から6回まで司会をされた小倉さん

「日月シンポ」1回から6回まで司会をされた小倉さん

小倉さんは、過去6階に渡る日月シンポの中で、建築設計を生業としない卒業生中心に座談会を進めた1回から3回に注目し、卒業生の広がりが、単に多様性という以外の拡張性を持っているのでは無いかという発議をされました。

編集委員は、「課題」を通じて集められた多くの情報を編集したわけですが、パネラーの皆さんは、今後どの様にそれを共有して行くかが、課題だと認識されているようでした。2003年に建築学科の教授の体制が大きく入れ替わり、それと共に、共通絵画や共通彫塑と言った学科内での造形基礎教育が、造形総合というカリキュラムとなり、他学科の授業を受けられるようになった事が、大きな変革時期だったのではないかとの意見が出ました。一方で、芦原先生が作られた「設計計画」という言葉に含まれた、「具体的な課題を通じて計画を学ぶ」というムサビ建築の中心部分は変わらず息づいています。

課題年表について議論を重ねるパネラー

課題年表について議論を重ねるパネラー

金子さんから、建築は社会活動の中で整理すべきだとの意見が出され、建築学科卒業生1期である相沢先生の行なってきたサーベイの話を端に、学生の自主的な課外活動の重要性にまで話が及びました。

1時間30分という短い座談会の中で、結論目いたものは出ませんでしたが、昨年50年という節目に、資料をまとめた意義は確認出来たようです。本年は「サロン風月」の都合によりシンポが日曜日の開催となったために、参加者が少なかったのが残念でした。

ホームカミングパーティー

ホームカミングパーティー

日月会は次の50年に向かって、皆さんと共に歩んでゆきます。更なる建築学科の発展拡張を期待します。

以上 21期・会長 酒向 昇

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第20回 プレ・フォロ開催報告

プレ・フォロの企画で行っている「ムサビ建築学科の歴史をプレ・フォロメンバーで共有していこう」という会を定期的に行っています。昨年のことになりますが、この第3回目が2014年7月27日に開催されました。前回の第2回では学園紛争期の貴重なお話を5名の方々から様々な視点で伺いましたが、今回はその直後に学生時代を過ごされた方々にご登場いただきました。

開催日時:平成26年7月27日(日)
開催場所:更田邦彦建築研究所(世田谷区代沢4-40-10 サクラB)
ゲストスピーカー(敬称略):
・伊坂 道子(9期) 一級建築士事務所 伊坂デザイン工房
・足立 正(11期) 足立建築研究所、武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科、通信教育課程 非常勤講師
・藤原 成暁(11期)(株)一級建築士事務所 藤原成暁設計室、ものつくり大学建設学科 教授
・南部 昌亮(12期) フォワードスタイル株式会社 代表取締役社長
・佐奈 芳勇 (14期) 佐奈建設(株)代表取締役

企画担当:棚橋玄-41(プレフォロ幹事)
進行役:更田邦彦-16(プレフォロ幹事)
準備他:鈴木竜太-36、寺阪桂子-34(プレフォロ幹事)

出席者(ゲスト・幹事除く、敬称略):真壁-2、松家-5、岩岡-16、寺澤-16、寺田-16、上田-16、小林、小池-20、酒向-21、内海-34、菊池-34

まずはこの企画初となる女性のスピーカー・伊坂道子さんから、ムサビ建築に入学された経緯から、お話いただきました。

伊坂(9期):工芸工業デザイン学科と建築学科と両方受験してどちらも合格しましたが、建築の仕事をしていた父の薦めもあって建築学科に進みました。建築学科の受験科目は英語、現代国語、数II、と「手に現実にはない電話の受話器を持った手を描く」という題の鉛筆デッサン。クラスには全国津々浦々からいろんな方が来ているというのが印象的でした。当時は女子が8人、理系の建築の勉強をしていて受験のときに初めて絵を描いたという人もいました。入学した頃には学園紛争の痕跡はほとんどなく、紛争前には磯崎先生や芦原先生もいらっしゃったと伝え聞いた程度でした。

1,2年は基礎の課題を保坂、竹山先生に指導していただきました。「リアリズム美術研究会」(通称:リア研、 建築学科以外にもファインアートの学生もいた) に入り、個展や棟方志功を招いて講演会などをやり、デッサンの勉強を4号館のアトリエ棟で続けました。3年以降は選びたいジャンルを選択して学びました。寺田先生が主となり設計の課題、織本先生が構造の授業を担当されていました。他にも保坂先生、竹山先生、川瀬先生などが教えていらっしゃいました。私は住宅を学びたかったので坂本ゼミに入りました。当時坂本先生は「水無瀬の町家」を発表直後の時代。実際にご自身で計画されている建物の敷地を、学生の課題の対象にしたことも。他にも既存の民家のリサーチをしたり、リノベーションの課題などが印象的でした。4年生の夏休み、東海大学・稲葉和也先生の民家調査(東久留米)に参加しました。卒業制作は「道を挟んだ住宅」という題の集合住宅で、6軒の全てプランの違う集合住宅を設計しました。ムサビには高名な先生たちがいらっしゃる中で勉強できるという自負があったと思います。

真壁(2期):学生のときはわからなくても、卒業してみると当時先生が抱えていた問題意識と重なってみえてくるようになる。坂本先生はパブリックという概念を批判していた。集合住宅の中に、伊坂さんの卒業設計の課題と重なったのでは?

伊坂(9期):坂本先生は「何の課題をやりましょうか?」といって学生に問いかけることから始める先生でした。みんなでこういうのがやりたいというと、応じくださいました。それでも、どんなテーマをえらんでも、坂本先生の薫陶に染まってしまうのです。

更田(16期):1~4年にかけて、高度成長期時代背景を感じたものはありますか?

伊坂(9期):卒業の頃は高度成長期が終わった時代。就職活動を始めた4年生の時にはオイルショック(’73)が始まっていて、例年は700あった求人は70件に減っていました。

-伊坂さんには建築学科50周年のために探した資料の中から、入学式と卒業式の写真を持ってきていただきました。

「坂本先生はいつもネクタイをされて、ダンディで笑顔が素敵だった」そうです

「坂本先生はいつもネクタイをされて、ダンディで笑顔が素敵だった」そうです

-続いて早稲田大学を卒業された後、大学院からムサビに入学された足立正さんに、早稲田との比較を交えながら当時の様子をお話いただきました。

足立(11期):’76年に大学院に入学。オイルショックで求人がなくなり就職難の時期でした。ムサビの大学院入試と早稲田の卒業制作の提出日がたしか2/7で同じだったため、前の日までに卒業制作を仕上げて代理で友人に提出してもらい、試験を受けました。
学生数はムサビ80人に対して、早稲田は180人。ムサビに入学して一番驚いたことは、一人ひとりちゃんとプレゼンテーションさせてくれること。当時、早稲田はA+をとらない限りは講評されず、ただ提出のみ。B以下だとなにがよくてなにが悪いかすらもわからない。3年生からの課題は美術館、小学校、事務所、劇場というビルディングタイプの課題が続いていました。提出図は平面・立面・断面図のほかに、梁伏図も必要で、コンセプチュアルなものは出てきませんでした。卒業論文、制作では安東研究室に所属していましたが、大学院でもいかないと先生と話す機会もすくない環境でした。卒論のテーマもマスターやドクターがやっていることが主題で、卒論生は補助的な役割でまとめていくというものでした。安東研の場合は小学校などが中心で、自分で選んだテーマは子どもの遊び場。また研究室それぞれの色がはっきりついていて、ドクター、マスターのヒエラルキーがありました。当時はTEAM10や丹下さんの影響から始まり、ポール・ルドルフの真っ黒に描き込んだドローイングなどがはやっていましたね。そんな力強い早稲田時代に疑問を感じつつ、僕の愛読書は1970年創刊のan•an、パルコのデザイン、倉俣史朗の世界感が好きでした。
新大久保にあった先輩の事務所で泊まり込みのバイト後、朝方の歌舞伎町に行くと、そこにあったのが1970年にできた一番館。これは違うという衝撃を受けました。それが竹山先生との出会い。ムサビの大学院に行ったのはオイルショック、竹山実、中学時代の友人が工デにいたという3つの理由です。

ムサビへ入学した当時は保坂先生の図書館の増築計画の工事中の頃。大学院の竹山ゼミは内部2名、外部2名(他大学から入ってきた最初の学生)。ムサビにきて感動したことは、先生が学生4人にコーヒーをごちそうしてくれたということ。スーパースターとお茶をのみながら建築の話しを聞けたのがとてもうれしかったですね。4年生の授業を聴講させてくれた時、コンセプチャルな課題で何をやっても良いという雰囲気に驚きました。先生のことを「~さん」と呼びかけ、「~先生」と呼ばないことにも衝撃を受けました。先生との距離感が早稲田とはまったく違いましたね。

真壁(2期):それは芦原さんの作り上げた雰囲気ですね。

足立(11期):時代でいうと影響があった雑誌『都市住宅』がでてきた頃で、デザインサーベイ(吉阪隆正)の意識が高かった頃です。またピラネージが紹介され、フォルマリズム、ラショナリズムへと建築の意識が広がり、ポール・ルドルフの時代が明らかにかわってきました。優秀な学生の課題や卒制にその傾向がありました。不況以降のアンビルト・イングランドや雑誌に引っ張られて、コンセプチャルなものが入り始めた印象的な時代。ムサビは先を行っていたのではないでしょうか。当時のバイブルは建築文化の特集号「ストリートセミオロジー」ムサビの先輩が竹山先生の授業の一環でまとめた雑誌でもあります。竹山ゼミの学生は全員持っていました。その後、竹山先生の著書『街路の意味』(1977年)で、街路を記号論的な視点から探った本からも大きな影響を受けました。チャールズ・ジェンクスの『ポストモダン』(1978年)の翻訳を同期の後藤くんが手伝っていました。雑誌『建築文化』や『商店建築』では竹山先生の特集が組まれていました。他にも『ジャパンインテリア』『室内』などの雑誌が刊行した頃。特集がしっかりしていて雑誌の文化が根付いていましたね。今と違い情報が少ない分、学生は雑誌を通して情報を得る時代でした。大学院の授業の課題はコンペが多かったです。『建築文化』にも発表をしました。

卒業後は竹山事務所に勤務。10号館は寺田先生との共同設計で行われましたが、それを担当させてもらったのは、大きな喜びでした。竣工した1981年は新耐震ができた年で、武蔵野美術大学創立50周年記念事業で建てられた建築。新耐震施行前に設計されましたが、前倒しで新基準に沿って計画されています。個人的なことですが、80周年記念事業で2号館の基本設計で宮下先生のお手伝いをできたこと、30年をへて、ムサビの2つの校舎の設計に関われたことは大きな喜びです。

-奥さまは工デ、娘さんは芸文出身と、ムサビと縁が深い足立さん。愛読されていた雑誌をお持ちいただき、出席したみなさんと当時の雑誌や本の話題で盛り上がりました。特に『蒼いニルバーナ』(1973年)はインパクトが強かったようで、松家さん(5期)から、先生が手術後に休まれた際に、授業は『蒼いニルバーナ』を読んでおくことだったというエピソードも添えていただきました。

貴重な雑誌をいろいろお持ちいただきました

竹山先生の街路の記号論の特集『建築文化』1975年2月号

-続いて保坂ゼミ出身の藤原さんからお話を伺いました。

藤原(11期):1974年に2浪して入学しました。定員50人の募集だったのですが、実際に入学したのは70人でした。合格発表のときに補欠入学者と線引きがあったので納得して入学しました。家の事情で1年目は半年くらい通えず、坂本先生のグループ制作課題を3日3晩ほとんど一睡もせず徹夜で仕上げたこともありました。特待生として大学奨学金をいただいていましたが、学生結婚をしたので、アルバイトをしながら必要最小限の授業を受けていました。

ムサビに入ってよかったと思うことのひとつが保坂先生との出会いです。とくに卒業してからそう思うことが多く、他の先生方もとても学生思いだということも卒業してから知りました。
3年生の頃、建築の道にこのまま進んでよいのかどうか疑問を感じていました。本当にこの職業が自分に向いているのか、やっていけるのか、という悩みをかかえるなか、建築以外で影響を受けたのは、民俗学の宮本常一先生の授業でした。感動的で面白かったですね。これが二つ目に良かったことです。「歩け、自分の目で見よ、全てがロングランなんだ」という言葉に触発され、実際の建築を見て回るようになりました。そうして、山口県立図書館(設計/鬼頭梓)との出会いが訪れ、このことが本気で建築を学ぼうと決心するきっかけになりました。

三つ目は学内に招いた「板画家棟方志功の講演会」のことです。特にファンではなかったのですが、志功さんが会場に現れた瞬間、何故か涙が溢れた時の光景ははっきり心に刻まれています。こういう不思議な体験は後にも先にもこの時の1回だけで、貴重な経験だったと今でもそう思います。その後関心を持つことになる「柳宗悦の民藝運動」の芽がここにあったのかも知れません。大学で自ら学ぶことの大切さを痛感することができ、感謝しています。

芸祭では建築学科の先輩たちがずっと続けてきた「おかめ」(焼き鳥の屋台)を有志を募ってやりました。個性の強い集団でしたが、それを受け止めてくださる先生方との親睦を図ることができました。浪人生の中にはムサビを選ぶ理由として学びたい先生の存在をあげる学生がいましたし、多くの先生がそれに応えようとされていました。また、芦原先生がつくられたという「設計計画」の授業にアーキテクトを育てるという理念を感じていましたね。

4年生当時、第二次オイルショック後でどこも就職難でした。目当ての設計事務所にポートフォリオ持参でけっこう歩き回りました。それはそれでとても良い経験をしたと思います。ほとんどが電話口で門前払いされましたが、それでも出向いていって門を叩きました。結局、学校に求人がきていた事務所に入れて戴きましたが、もともとは鬼頭事務所を希望していました。面接して欲しいと初めて電話をしたときに、鬼頭先生御本人が出て対応して戴いたことに感動したこともあって、惚れ込んでいました。その後何度か事務所にお邪魔し面談する機会を得、「何年でも待つのでぜひ入れて欲しい」旨を伝えました。最初に就職した事務所に3年ほど在籍し一級建築士を取得、その後念願叶って鬼頭事務所に入所することができました。

苦労された学生時代のお話もさわやかな笑顔の藤原さん

苦労された学生時代のお話もさわやかな笑顔の藤原さん

-続いて竹山ゼミ出身の南部さんからお話を伺いました。

南部(12期):1979年に入学。学生は80人中10人が女性で、AとBの2クラスに分かれていました。4~5歳年上の同級生が4人おり年下の私たちをぐいぐい引っ張ってくれました。またこの頃は学部違いでは、東大を中退した人や元船乗りなど、個性の強い学生が組織を束ねていました。

課題がとても活発な時代でしたね。1年生の寺田先生の課題は、新宿の中央都市に建てるセミナーハウス。同級生4人で共同設計をし、ロットリングを20本ほどつぶしながら、山口はるみのようなタッチやマスキングの鬼といわれるほど表現に凝っていました。超高層の課題ではアンチテーゼで地下を掘ったり、身体スケールという言葉が流行っていた頃で、作品に取り入れたりしていました。この作品は磯崎新さんの展覧会があった際に、真壁さんのはからいで一週間同じ会場で展示する機会が与えられて、評価を受けました。

1年生の時から白井晟一さんなど、ませた哲学的な議論を年上の同級生と交わしていました。2年生の坂本先生の課題では、実際に先生が計画されていた国立の敷地で、道と道をつなぐアメニティを住居として作るという題。ポール・ルドルフに影響されていた表現をやっていました。

ゼミの説明会で竹山先生のかっこよさに衝撃を受け、一目惚れで竹山ゼミに進みました。『蒼いニルバーナ』後で、少しおだやかになっていたが、カミソリといわれていました。竹山先生の授業は半分英語でした。カリフォルニアの大学授業の課題が持ち込まれ、自分の心象風景を模型にするという課題を実践しました。

3年生の1978年には、竹山先生の指導によりNIAE(New York International Architecture Education)の国際コンペに参加しました。サン・ピエトロ寺院前の街路をムッソリーニが分断してしまったものを計画しなおすという題。サン・ピエトロ寺院の巨大な模型を作ったのですが、模型の制作で力尽きて作品はコンペ提出期限の2日後に完成しました。最終的な模型は助手の須藤さんの計らいで、イタリア文化会館の天井にしばらく展示されました。

同じく3年生の時、学部を乗り越えて及部先生のご指導を受け、プロジェクトネーブルという課題外プロジェクトを行い、視デと一緒に鷹の台ホールの横に実物大のドームを作りました。バックミンスターフラーの理論に基づき、垂木、ハブなどの面材をダンボールで作りました。中のイベントスペースでは、劇団黒テントを呼んだり、バンドをやったり,ビジュアルインスタレーションを行ったり、いろんなイベントを開催しました。大学からの公認を受けてドームを造る行為はその後4、5年残りました。現在も視デの陣内教授が引き継いでおられます。

79年に大学院の竹山ゼミに研究生で入りました。イスラム文化センターの国際コンペで入賞し、授賞式でマドリードまで行きました。丹下健三が審査委員長。実は1位だったのですが、前年日本人が受賞したことと、学生ということで落とされてしまいました。1等は750万ペセタの優勝金があったので、もし受賞していたら人生が変わっていたかもしれません。外界を遮断する頑強な外壁と優しいホモジニアスパターンを有する家屋の屋根によって構成される内側を持ちインターナルリッチネスに繋げるコンセプトによりイスラム文化の考え方を暗喩させました。またキブラウォールというメッカに向かっての壁と北緯とのずれをサイトプラン上の粋なテーマとしました。懐かしい。。。

更田(16期):先生たちも若くてパワーがあり、学生の機運も含めて、ムサビの絶頂期だったのでは。

南部(12期):学生と先生の年齢の差が比較的近いことや、70、80年代は時代的にもエネルギーがあって文化的にもパワフルでしたね。学部を超えての交流もムサビの大事な経験でした。視デとダンスパーティを企画をしました。大学紛争で先輩たちの歴史は途切れており、実質第一期ジャズ研究会を創設したりととても充実した学生時代を過ごしました。この頃の息吹が今も自分を多いに支えている気がします。先日、私の第一期から50代目の部長までが繋がりました。

-熱のこもったポートフォリオをご持参いただき、その作品の精度と質の高さにみなさん圧倒されていました。南部さんは校友会の副会長をやっていらっしゃいますが(2015年に任期満了退任されました)日月会も盛り上げていきたいと心強いお言葉をいただきました。
学生、先生ともに右肩あがりの時代を経てきた中で、もう一人、他大学からムサビに入学された佐奈さんへバトンタッチ。

たくさんお持ちいただいた資料の中から当時の製図室の様子の一枚

たくさんの資料の中から当時の製図室の様子の一枚

佐奈(14期):早稲田大学法学部卒業後、当時は学士入学という制度がなかったので、ムサビには1年生から入学しました。オイルショックが起きたのは早稲田の1年の時。当時は建築に興味がなかったのですが、実家の工務店を継がざるをえなくなり、美大を目指すようになりました。実家の工務店では、建築家やデザイナーと一緒に店舗やおもしろい建物をつくっていて、面白い人たちに囲まれていました。そんな中で長谷川堯先生のことを教えてもらい、本に衝撃を受けました。遠い親戚に坂本ゼミを出た人がいたこともあって、ムサビを受験。奥さん探しもあったかも。

初日から黄色いスポーツカーで通学する不良でした。現在10号館があるところは当時駐車場で、学生も停められたのです。卒業後は教務補助で2年残り、その間に10号館が建てられました。

皆より4歳年上で入学しましたが、他にも東大の化学を卒業した人、日大中退など、いろんな経歴の人が集まっていました。1年生で共通絵画の授業を受けましたが、パネルの水張りも知りませんでした。一般教養、語学免除なので時間が余り、単位はとれないけど他の授業を聴いたり、研究室の助手・須藤さんに話して4年生の講義科目を先取りしたりしていました。そのため同級生とは多少ずれがあったように思います。

早稲田のようなマンモス大学とムサビが違うのは先生が身近なこと。先生が肩越しに話しかけてくるのというのに驚きました。早稲田にはまだヘルメットをかぶった学生がいた。法学部は民青、教育・社会学部は革マルと学内派閥に分かれていて、民青と中核とは争うことはあまりなかったが、革マルと中核など思想の根が同じもの同士が内ゲバをしていたのを横目でみながら過ごしていました。比べるとムサビは平和でしたね。

大学院生と同い年だったので、院生室にいりびたっていました。鈴木明さんや横畠さんなどと議論することもありました。長谷川堯先生の大学院の授業でジョサイア・コンドルや村野藤吾の建築をめぐることがあった時に、車が足りないということで声がかかり参加しました。親の車を借りて行ったら、長谷川先生が助手席に座られました。それが縁となり、先生の大学院の授業を受けることを許可されました。

1年の時からいずれは坂本ゼミを取ると決めていました。物事を形式的に捉える、という先生の講義。形式主義はややもすれば批判されがちだが、物事をある種のタイプ、形式として抽象化する能力は大切だ、と教わりました。法学部に入ったのは文化のインフラとしての法律に興味があったからです。世界の文化の形は、それぞれの国の人間の表象でできあがっている。その枠組みを言葉で端的に作ったものが法律だということ。国によって法律が違うこととは、その国それぞれの文化・文明の捉え方が違うから、罪の定義が異なる。建築は壁、出入り口、開口部の位置を決定することにより、人間の行動を制限し、または促進させるという、両者の共通性に興味がありました。

2、3年生の頃、経歴が変わっているからか、保坂先生からお声がかかり、事務所で模型のアルバイトをしました。保坂事務所は夕方6時以降はアルコール解禁で、所員が皆飲みながら仕事をしていました。模型を作っていると、先生がコップでお酒を飲ませてくれたりして、保坂ゼミに入らないわけに行かなくなりました。それだけでなく、歴史的や外国の比較文化をゼミでやるというという点に惹かれて、保坂ゼミを選びました。
卒業するころ、進路に迷っていましたが、我々の前の大学院の坂本ゼミでは実際に先生が設計しているプロジェクトに関われるというのがとても魅力的でした。自分は8年も学生をしていたこともあり大学院進学は諦めたのですが、坂本先生の勧めで教務補助として学校に残り、週3回自由な時間に坂本ゼミに授業にでてよいということになりました。ところが、この年から先生はしばらく設計をやらず、建築のイメージ調査の研究をやるということになり、はじめ同期の学生は皆あてが外れたと憤慨していました。しかし研究を学会で発表するなど貴重な経験を持てました。

-先生と学生のよい距離感など、学園紛争後のむさびの古きよき時代の総括としてとてもよいお話をお伺いできました。

ユーモアのあるエピソードをたくさんお持ちの佐奈さん

ユーモアのあるエピソードをたくさんお持ちの佐奈さん

-今回は早稲田とムサビとの比較を通して、ムサビの特徴がより鮮明になったように思いました。他にも雑談の中からも興味深いお話をたくさん伺いましたので、その中から先生語録をいくつかピックアップします。

難易度の高い構造の授業を教えられていた織本先生:
「計算できなくてもよい。それは構造家の仕事。ぱっとみてこれが持つか持たないかの感覚だけ研ぎ澄ませておきなさい。」
「模型を作って倒れなければよい。」
また学生の講評会で、磯崎先生が学生作品そっちのけで自分のプロジェクトの構造を織本先生に相談していたこともあったそうです。
最初は図学・製図を教えられていた坂本先生:
「ムサビに入るまでに積もったもの、あらゆる目にかかかったいろんなフィルターを取り除くこと。違う視点、根本的な目で見ることが大事。」

時代は変わってもこのように培われてきたた「ムサビズム」が、この先も継承されていくように日月会としてサポートしていけたらと思います。

盛り上がった懇親会のひととき

盛り上がった懇親会のひととき

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第17回日月会賞審査会 報告

第16回日月会賞開催

7月11日土曜日に13:00より20:00まで、第17回日月会賞審査会が開催されました。

エントリー作品数は毎年増加しており、昨年の35作を上回り、史上最多の38作品でした。参加して下さった3年生の皆さん、長時間にわたり真剣に審査くださった審査委員の皆様、本当にありがとうございました。

3年生前期の課題は、源/祐乗坊/西尾先生・河野/原田先生・高橋/増田先生・鈴木/常山先生の4スタジオです。高橋スタジオの連続課題「都市の環境単位」や、1分の1断面を提出物とした鈴木スタジオまで様々な課題が揃いました。
本年の審査員は、5名年代もお仕事も様々な卒業生に集まって頂けました。
審査委員長:内海 聡(34期)内海聡建築設計事務所主催
審査委員 :藤原成暁(11期)ものつくり大学教授
      笹口 数(20期)美術作家
      新庄哲平(39期)家具デザイナー
      西村 萌(40期)KAJIMA DESIGN 勤務
審査員は、4時間にわたる審査開始です。学生は短い時間でプレゼンテーションします。
審査員以外で来校して頂いた先輩方へのめくるめくプレゼ、プレゼ1000本ノックです。

真剣に学生のプレゼを聞く先輩たち

真剣に学生のプレゼを聞く先輩たち


小倉先生も学生のプレゼに熱心に耳を傾けています

小倉先生も学生のプレゼに熱心に耳を傾けています


今年は、造形的な完成度の高い作品も沢山あり、見応えあり過ぎです。

しかし、今年は造詣的な作品に票は集まらなかった

しかし、今年は造詣的な作品に票は集まらなかった


審査員も疲れ、学生はプレゼなれして来た頃です。
学生のプレゼに対し質問攻めにする先輩たち

学生のプレゼに対し質問攻めにする先輩たち

いよいよ、審査。
1次投票で11作品が選ばれました。
約1時間30分の議論とPRで、受賞者を決めなくてはなりません。
審査員からは、選定理由や、いまいちな点について意見が出され、弁明する学生も。
短い公開審査時間の中、到底議論は尽くせずフラストレーションの中、最終投票に。

最終審査風景

最終審査風景

太陽賞:羽根田雄仁 「反転のうずまき」

反転のうずまき

反転のうずまき


敷地で体験した林の内部性に着目、林から顔を出す天窓と縦うずまき断面の可能性により太陽賞を獲得しました。

満月賞:平川凌成 「トレンチのフォリー」

トレンチのフォリー

トレンチのフォリー


単純なコンセプトながら、泣かせるストーリーが、満月賞に輝きました。

三日月賞:山田陽平 「KIchijyouji Contenporary Museum」

KIchijyouji Contenporary Museum

KIchijyouji Contenporary Museum


展示スペースのあり方を、凡庸になりがちな球体で突破しようという山田君は、三日月賞。

審査員以外の当日参加の全卒業生の投票で決まる新月賞:荒木愛香 「鎌倉子ども館」

新月賞:大作!!鎌倉こども館

鎌倉こども館


大作です。

七夕賞:寺田篤実「ヒマラヤ」
昨年の日月会賞受賞者による賞です。

表彰式では、もう一つの日月会賞として、2年生対象の金土会賞の受賞式も行われました。

受賞されたみなさん、おめでとうございます。

執行部と研究室の日月会賞スタッフの皆さんお疲れさまでした。暑い中かけつけてくださったOBの皆様、多くの皆様のお力で今年も無事に開催できましたことを心から感謝いたします。

50人近い大宴会

50人近い大宴会

年年参加者も増える2次会、教授/卒業生/院生/4年/3年/2年入り乱れての祝賀会、反省会。
あっという間に終電となりました。

日月会会長 さこうのぼる(21期)

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